たところのない暖かさのある声で、順助は、
「桃ちゃんが乗ってしまうまで待っててやるよ」
というのであった。
二
中学の二年のとき父を亡くしてから、順助は半分は伯父である川田の家で桃子たち兄姉のなかにまじって成長したともいえる工合であった。三つ年上の広太郎がいつも順助の兄役であった。そのこともあったろう。でも、折々桃子が不思議に思うくらい、桃子の思い出のなかには順助と遊んだいろいろの情景が濃くのこされて来ている。
たとえば夏のかっと灼《て》りつけた庭土の上を蟻が盛に歩いているのを眺めたりしたとき、桃子の若い回想のなかに甦って来るのは、いつもうちの離れの前栽の景色にきまっていた。
茶室づくりの離れの前栽には、松や蕚などがひっそり植えこまれていて、暑い昼間、蜥蜴《とかげ》が走った。小さい桃子のおでこにざらざらした麦藁帽子の縁がさわっている。それは順助がかぶっているのであった。桃子は四角な踏瓦をひっくりかえした下から現れ出た柔かい土とそこにある蟻の卵とを、びっくりして眺めていた。
「ほら、おどろいているんだよ。駈けてるだろ、卵をよそへ運ぼうとしているんだよ」
しかし
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