どことなし余分の自身の雰囲気に自分から身を置いているような不安があった。今晩の演奏ぶりがこんなにも生粋でしかも芸術への気魄にみちているのは、どういう変化がこの富と天賦とをゆたかにそなえた女性の内心に生じたからだというのだろう。幸福に飽満したからとはいい切れないもの、もっと女の心の奥に複雑に目醒まされたもの、それが今や彼女の音楽を一層の含蓄と熱意とに満ちたものとしているように思われる。そして、それは仕合わせな暮しと一応みられている生活のなかにも在る微妙な人間生活の陰翳から来るものだと思われるのは、自分だけの間違った推察だろうか。
 女の芸術の進んでゆく姿に、こんなにうたれる今晩の自分の心の感じやすさの理由に我から心付くところもなくはなくて、桃子はぼんやり上気した頬へプログラムで風をおくっていた。いつの間にか来た順助に、
「ひとり?」
ときかれて、桃子は思わず、
「あら」
と、顔を赧らめた。
「よかったら、ちょっと出ようか?」
 歩きながら順助は、
「森崎知ってただろう?」
といった。
「あの妹さんだ」
 休憩の人々で溢れている露台の太い柱のところで、順助は改めて二人を紹介しあった。
「従
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