よ子が笑って立っている。
「あら……」
桃子は仮睡からでも醒まされたような弱々しい途方にくれたような笑顔になりながら、きゅっきゅっと自分の額を握りこぶしで擦った。
「御免なさい、余り思いがけなかったもんだから」
桃子はやっと立って行って、
「よくいらしたわね」
とさよ子を迎えた。
「ゆうべ老松町の方へ電話かけたら、こっちだっていうもんだから」
「よかったわ。母さんもう御挨拶したの?」
「ちょっとお出かけだとさ」
飲みものの用意をしたり、あついしぼり手拭をこしらえたりしながら、桃子は単純な思いがけなさばかりではなく動かされている自分の感情で何となしうつむいた。こうやってここまで連立って来た二人の姿は何を語ろうとしているのだろう。
やがて多代子もかえって来て、みんなは東京からおもたせの御寿司を、芝生の木蔭へもちだしてたべた。生れつき善良さと悪意のない観察眼とを半ばずつ綯《な》い交ぜながら愛想よく多代子が、若い女客をもてなしている。さよ子は、時々、
「まあいい気持」
とか、
「ここ、砂地でも花が咲いて、ようございますわね」
とかいいながら、こだわりのない様子でそのもてなしを受けている。
「一休みなすったら、ちっと海岸を歩いていらっしゃいましな」
と多代子がいった。
「大した景色でもないけれど、江の島がついそこに見えますし気が晴れ晴れいたしますよ」
「きょうなんか、もう入れそうだな」
「冗談じゃない順助さん。駄目ですよ、そんな。――桃ちゃんも御一緒して、ね」
「…………」
順助は誰にともなく、
「すこし歩いて来ようか」
と立ち上った。さよ子も袂をそろえるようにして立って、
「おいでにならない?」
桃子をかえりみた。
「後から行きますわ――私、これから大いに腕のいいところおめにかけなけりゃならないんですもの」
「じゃ、たいてい、あの橋を真直出たところ辺にいるから」
二人は庭から木戸へ出てゆく。多代子はじっとそれを見送っていて、何かいおうとふりかえったら、もうその辺に桃子はいなくなっていた。
黒と白とのそのまだら犬はちっとも訓練されていない野放しで、桃子が放る枯木の枝をおっかけてその方へかけ出しはするけれど、それを咬《くわ》えて戻ることは知らないで、やたらにそこらの砂を蹴立ててふざけている。先へ先へと小枝を放りながら最後の砂丘を犬と一緒に勢いよく駈けおりて、顔
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