が経済的にも行詰って了うと、実際生活に於いて地味にそこから発展の道を見出すことが出来ず、同時に作家としてもその活動を挫折させた。自分が感じたこと、自分が生きたこと、そういう範囲では彼女はそれを強烈に作品の中に反映することが出来た。けれども彼女の場合には、自覚されていなかったそういう経験主義的な生活振りを、今日の私達が見直すと、そこにある破局は畢竟彼女がリアリストでなかったこと、或は彼女の熱と力との放散を質的に高める社会的な広範な基礎を生活の中にもっていなかったということを思うのである。
文学において、リアリストと混同され勝ちな経験主義者や瑣末な現実の断片を受身に反映する写実主義者は、ある一つの段階に達すると必ず共通な倦怠を生活に対して感じるようになるらしい。小さいものの観方をしか持たない人間程早く人生に飽きて退屈すると同じ理由で、そういう作家達にとっては、ある年齢が来ると、新しいことということ、新しい感情というものが一つも毎日の生活の中で発見されなくなって来る。「ああこれもあの時のものと同じだ」「ああこんなことはもう百も承知の事だ」世の中の現象が反覆としてだけ映って来る。そして何時も
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