指導上の誤りがあったし、作家がものを書くために不便な条件もあったことは事実である。けれども私は今日自分がプロレタリヤ作家として落ちついた一つの確信をもってものを書けるような時機に到達している立場から、これまでの数年間を省ると、あながちそれらの人達の考えるような消極的な意味だけが過去の活動から汲取られるとは思わない。また現実的に作家の本質的な発展の問題に触れてこれを見れば、決して消極的な意味を歴史上に持っていたのでもなかったのである。
大体、作家とその実際生活との関係は非常に微妙で、興味尽ぬものがあると思う。例えば私なら私という一人の婦人作家が、最近の三四年間における日本の複雑きわまる急速な状勢の移り変りにつれて実際生活の上で経験した事柄というものは、その内容をみると時間では計ることの出来ない程多く深いものを与えている。
それならば、どうして刻々にその経験を片端から小説に纏めて行かなかったのかという疑問が起るのであるが、私はここにリアリズムというものが経験主義でもなし、日常|瑣末《さまつ》な写実主義でもないという証明があると思う。
ある作家が、ただ実際はこうであったという自分なり人
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