たものであったと考えている。
私が、旧作家同盟に参加した頃、或る種の人達は、片岡鉄兵がしたと同じように私も早速ブルジョア・インテリゲンツィア作家として持っていた文学上の腕をそのまま活用して、いろいろな作品を書いて行くことと予想したらしく考えられる。そのとおりに実際は進まず、二年も三年も私が小説らしい小説を書かなかった結果、当時の周囲の事情との関係もあり、反動的な見方で私についてのこの現象を説明する人があった。それらの人々は私の階級的移行が作家として愚かな行為であるという見解を示したのであった。今までいた場所にいて柔順しく身の廻りのことでも書いていればよいものをなまじっか新しい運動に入ったから勝手が違って書けないという風に理解した人もあったらしいし、また或る一部には、恰度小林多喜二があのように短かい生涯を終ったについて、まるで当時の作家同盟が彼をあのように痛憤すべき最終に立ち到らせたと云ったと同じく、私も作家同盟で下らぬ仕事にこき使われているから書けないと考えた人もあったらしい。
作家同盟の活動に就いて云えば、それが広い階級運動の持っている様々な歴史的条件によって、ある時代に部分的な
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