あり、民主化によってだけ解放される困難なのである。
 今日、地方に、文化の動きが多いということは、ただそれだけのことではないと思える。日本の全社会が、どんなに動き出して来ているかという証拠であると思う。若い世代が、自分たちの青春と発展の可能を、自覚して実現しようとしはじめていることであると思う。文化の波音は、その社会、その地方のいのちの動きの歌である。解放への羽づくろいの気配なのである。
 このことは、今日、地方に紙があり、印刷能力があるという偶然以上の意義をもっていることとして、十分に会得されなければならないと思う。
 今はじめて、私たちは公然として人民たる自分を生かしはじめた。私たちの文化も、漸々《ようよう》これから私たちのものとして成長しはじめようとしている。あらゆる日本の隅々から、あらゆる日本の町々から、日本の人民の議論と、笑いと、真摯な物語りとやさしい心情の流露とが溢れて、荒廃した日本を沃土としなければならないのである。
 日本は、このように小さい島である。けれども、南と北に弓なりに張られていて、地方の文化的テムペラメントは貧しいということは出来ない。それらは、より豊かにより
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