は、男も女も、自然な男女そのものとして生きられるものとして法律の前に平等である、という意味でしかない。不自然な条件におかれる男と女とを合わせて半分にされた状態での平等では決してない。現在の、妻に疎開されている夫たちの状態が、人間らしい男女平等の状態ではあり得ないのである。
 こう理解して来ると、わたしたちの人間らしい協力において、男が男らしく活溌に生き、女が女らしい全能力を発揮して生きるためには、先ずそういう協力の可能がある社会条件をつくってゆくということが、協力の第一項にあらわれて来る。女が女らしく生きるためには、すべての職場で女性の性は保護されなければならない。女性の性が保障されない社会では、男性の性も守られず、つまり恋愛も結婚も家庭生活における父母としての経済上の安定も保たれず、従って人間性も健やかにあり得ない。刑法で姦通罪において婦人には手落だった過酷さが改正されたとしても、私たちの日々の生活のなかの現実で経済危機が、市民生活のモラルの根柢をゆすぶっているとき、刑法の改正だけで人民の堕落と悲劇とはなくならない。
 職場の組合の中では、この問題が実に微妙に悲喜劇的に現われる。わか
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