校にゆけないかを考えてみれば、職場の人のおかれている衣食住の困難、そこからおこる人間性の歪み、それと闘ってゆく人間らしい健気《けなげ》さでは、学生も職場の人もまったく同じ条件のうえにおかれている。そしてそこには男と女の勤労者があり、男と女の学生がある。お互同士が自分たちの事情がどんなに似ているか、全く等しいかということを理解したとき、学生は人生的な社会的な感情で勤労者の生活を自分のものとして感じることができるし、勤労する人々もいわゆるインテリに反撥する心、あるいは逆に買いかぶってインテリぶるみじめさから免かれる。そういうことをお互いに真からよく知り合った男と女が、職場にも学校にも家庭の中にもだんだんできかかっているということ、そこに私たちの明日の希望がある。これらの人々は旧い習慣や生活感情に対して、ある程度までそれを傷つけないような方法を考えながら、しかし決して根本的には譲歩しないで、自分たちの働く者としての立場、その立場に立った夫婦としての生活、その立場に立った親子としての生活を建設しようとしている。
 男女の協力ということを、社会的な生活態度としてとりあげるようになったのは、むしろ
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