いうとおり、今日のブルジョア民法としての民法改正が行われ封建差別がとりはらわれたのならば、たしかに今のままの条文を適用されるような親の財産も、夫の財産も、娘たち、子供たち自身の財産もあり得たであろう。けれども今日金の値打が百分の一になり、まさに千分の一になろうとしているとき、どんな空想家が五人の子に一生の安定のために分けられる財産があると思っていよう。分ける財産に頼られないならば、自分のからだについた財産である社会的な勤労能力というものこそ保障されなければならない。憲法は、すべての人民が働くことができるといっている。それは半分飢え、絞られながら、働らかされる権利があり、失業させられてよいという意味ではないはずだ。すべての人は教育をうけることができるといわれている。これも人間である以上、二十四時間のうち十時間を労働に縛りつけられることはあり得ないということを意味している。人間は労働、休養、教育に二十四時間をわけてつかうのだから。
 学生と職場の人たちとは、生活の違いがひどいように自分たちでも思っている。けれども、今日学生の何割がほんとうに学校に行っているだろう。行けない学生は何のために学
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