されていることである。それを克服するためには、いまこそ婦人画家その他の能力が発揮されるように、男子の芸術家が協力してゆくべきである。けれどもそれが行われないから婦人画家たちだけの集りや催しがもたれて行くことになる。そして日本の社会としての弱点は大変のろいテンポでしか克服されない。
婦人の実力がまだ低いから、社会的に経済的に、また政治的に平等であることは早すぎるという考え方は、ごく若い婦人の中にさえもある。私はそういう意見をもっている専門学校の女生徒に会ったことがある。これは考え深いことばのようであるけれども、実際は日本の社会全体の遅れをそのまま肯定し、女の人が才能をひしがれて一生を送らなければならない社会機構そのものを肯定したことではないだろうか。憲法と民法とが条文の上で男女平等といっているその実際の条件をこの社会の中につくり出してゆくことこそ、新しい意味での男女の平等な協力の中心眼目であろうと思う。
民法の改正は明治三十二年頃福沢諭吉が婦人のために力説した議論であった。当時日本の資本主義は小規模ながら興隆期にさしかかっていて、日本の中産階級が経済能力を増してきていた頃、福沢諭吉が
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