おそすぎた。そのくせ目新しくもある。その矛盾から男女というと、何となく特別な儀礼的な方法や気分が予想される。外国映画などで目から入ることの外見だけの模倣が現われる。そういうエティケット風な外国の模倣が続くのは特に日本では四十にならないまでのことである。家庭をもって生活してゆけば、遊びのような「協力ごっこ」は立ちゆかない。もし協力というものを遊びごっこのような、恋愛遊戯の一つのエティケットのように扱うならば、結婚と一緒にそれは幻滅するであろう。――最も深い意味で、最も永続的な意味で、最も責任のある意味で協力が必要とされてきている時期に……。
 協力ということの幅は非常に広いと思う。深さも深い、それはとりもなおさずわたしたちが女として生きる一生の歴史そのものではないだろうか。ほんとうに協力すべきものとして、男と女が互に理解し、その理解のうえに立って愛し合い、そして生涯を生きてゆくならば、協力の場面の多さと、協力の意味の多様さとその変化の多さにびっくりしないではいられないと思う。協力はいつでも前掛けをかけているとはきまっていない。協力は時に全く前掛けのあることと、竈のあることと、借金のあるこ
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