明日の言葉
――ルポルタージュの問題――
宮本百合子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)壮々《たけだけ》しい
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き]〔一九三七年十二月〕
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日本文学が近い将来に、どのような新たな要素をとりいれて進展してゆくだろうかという問題は、決して単純に答えられないことであると思う。日本の社会がこの先どうなって行くだろうかと訊かれて、簡単に答え得る人は、寧ろ今日の現実の裡で十分緻密な生活感情をもって複雑な日々の経験をとり入れている人であるとは云い難い実情である。現実は益々複雑な面を露出している。文学の歩みがその社会的相関の相貌をつよく反映して、種々な交錯の中に推移してゆかなければならないことも亦当然であろう。
最近の数ヵ月間に、作家による戦争のルポルタージュが前面におし出されて来ている。一九三七年の日本文学について語るとき、この特徴的な現象は見落せない。そして、この現象は、本年のはじめ頃から日本の文学者の一部の間に特殊な傾向をもって強調されていた作家の社会性の拡大への要求、大人の文学への要求、国民の文学と称せられるものへの要求と根をつらねた文学的性格を具えている点においても、文学上相当の意味をふくんで立ちあらわれている事実である。上海その他へ出かけて、目下戦線ルポルタージュ専門の如き観を呈している林房雄氏が上述の提唱の首脳であったことは説明を要しない。文芸懇話会賞というものをその作「兄いもうと」に対しておくられた室生犀星氏は、自身の如く文学の砦にこもることを得たものはいいが、まだ他人の厄介になって文学修業なんか念願しているような青年共は、この際文学なんかすてて戦線にゆけ、と、自身の永く苦しかったその時代をさながら忘却失念したような壮々《たけだけ》しい言をはいていられる。
明日の日本文学は、今日の現実の一面に肩を聳かしているこのような気分との摩擦から、或る微妙にして興味ある展開を示すものと思われるのである。社会の歴史は、犠牲をもっている。文学の歴史も、このことに於ては等しい。
世界文学の範囲にひろく眺めて、ルポルタージュというジャンルは、社会層のテムポ速い飛躍と複雑の増大によって、確に来るべき文学に従前よりは重大な場所を占めるであろうと考えられる。
日本で報告文学が、小説以前の現実状況の報告文学としての意味で、作家と読者との一般的関心の前におかれたのは、今日から数年前、プロレタリア文学のもつ社会性の本質からであった。これまで文学の仕事というものは、今日にあっても室生氏が未だ業ならざる者は弾丸に当って死ぬがまし、と云っても自身その言葉に赤面しないですんでいるような、特殊な専門的修練を経て成り上った少数者の技術のように考えられていた。しかし、それならばと云って、所謂《いわゆる》文学的専門術は身にそなえていなくても、人間として民衆として生きる日常の生活の中から、おのずから他の人につたえたいと欲する様々の感想、様々の生活事情が無いと云えるだろうか。あったことを語りたい。忘られない或ることを語りたい。小説ではなくあったままに、それを書きたい。報告文学の人間的要求の根源はここにあった。新しい社会性の上に立って文学の仕事に進もうとする人々に、スケッチや報告文学《ルポルタージュ》をかくことから導いているプロレタリア文学の方法は、この意味で文化の現実に即し、新たな文化のヒューマニズムに立っているのである。同時に、既に十分の技術をもっている作家が、刻々に推移してしかも一般人の生活の歴史に重大な関係をもつ社会事相に敏速に応じ、それを正当な方向において、歴史の意味するところを報告し、より正確で深い人間性に迄ふれて一般人に各自のおかれている現実関係を理解させようとする任務を持っている。
今日、諸雑誌や新聞の上に溢れているルポルタージュは、そういう本来の特質に対して、どういう現れを示しているであろうか。
吉川英治、林房雄、尾崎士郎、榊山潤の諸氏によって、作家の戦線ルポルタージュは色どり華やかである。綜合雑誌の読者はこれらの作家によって書かれた報告的な文章を立てつづけて幾つかよまされているのであるが、果してこれ等のルポルタージュがニュース映画をその文学の特殊性によって凌駕しているという印象を与えつつあるだろうか。
ルポルタージュは観たこと、聴いたこと、感じたこと、即ち対象となる現実をひっくるめた人間生活諸相の報告であって、もとより平常では見られない珍らしいこと、スリルなこと、風土的エキゾチシズムが主要な部分ではない。
今日の所謂戦線ルポルタージュには、何となくただ眼をうごかして外側にある物事を見るにせわしい作家達の態度が映っている。「こわいもの見たさと
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