いうか、男の虚栄心からか」(林氏・上海戦線)前線へもゆきたがる作家を、陸軍の従軍報道班の人々は忍耐をもって、適当に案内し、見聞させ「戦争がその姿をあらわして来た」と亢奮をも味わせている。軍人は戦い、そして勝たなければならないという明瞭な目的によって貫かれている。居留民はそこにおける地位、財産を守ろうとする一致した目標をもってがんばっている。士卒は兵士としての絶対の避くべからざる任務に服している。その間へ、銃をとって絶対に戦わなければならないでもない作家、一面には社と社との激烈な競争によって刺戟され、一面には報道陣の戦死としての矜《ほこ》りから死を突破しようとさえする従軍記者でもない作家、謂わば、命を一つめぐってそれをすてるか守るかしようとする熾烈な目的をも、立場の必然からはっきりとは掴んでいない作者があちこちしての報告が、見るにせわしくて現象的で、内から迫って人の心をうつ迫力を文章にもっていないのも、当然であるかもしれない。
 表現の非現実的な点にもこの心理はあらわれている。例えば同じ林氏の「上海戦線」の中に、完全に燈火管制された都会の夜の物凄い気持を、自ら仮死状態に陥った都市の凄さを描いている。レーンの小説「戦争」又はレマルクの「西部戦線異状なし」バルビュスの「砲火」などを読んだ人々は、燈火管制下の夜の凄さというものは、仮死どころか、その闇の中にあって異常に張りつめられている注意、期待、決意がかもし出す最も密度の濃い沈黙的緊張の凄さであることを、実感をもって思い出すであろう。戦線の兵士たちが可愛い。法悦が顔にあらわれている。「神の子のような顔をした」兵士達云々と云っている林氏のロマンチシズムの横溢は、岡本かの子氏が昨今うたわれる和歌の或るものとともに、恐らく「神の子」たちの現実的な感情にとってはすぐ何のことか会得しかねる種類の修辞であろうと思われる。
 尾崎士郎氏は名調子の感傷とともにではあるが、それとは異った他の人間的情況のスナップをつたえようとしている。榊山氏の文章は虚無的な色調の上に攪乱された神経と、破れて鋭い良心の破片の閃きとで或る種の市街戦の行われている国際都市の或る立場の人々としての現実を反映している。けれども、これらの文章の大体は、私たちが夜中にも立ち出て見送った兵士たちの生活と、何とかけはなれているだろう。女というものをめぐって扱われている部分だけ見較べても、胸迫る感想があるのである。今日はどこ、明日はどこと見てまわって、書かれた文章が見るにせわしい調子をつたえているばかりでなく、見るべき場所、事柄の社会的自然的事情について作家たちの科学的知識の欠如していることは今日までの戦線ルポルタージュに顕著な一つの通有性となっている。縦に突こんで、現実が把握されていない。通州の事件について書いている尾崎士郎氏と山本実彦氏の文章の対比はこの点について教えるところがある。山本氏が持っているものは、どちらかと云えば政治家風な通であって、新しい内容での客観的知識、科学的知識ではない。それでも、まだ素朴な感傷でだけ結果的にそれにふれている尾崎氏よりは山本氏の記述の方が事件の背後の錯綜にふれ得ているのである。
 作家が社会化し、大人になるということは単に踏む土と聞く音が変り、異常事の只中に在るというだけでは尽されない。その重大な文学的実験を、林氏は自身のルポルタージュで告白しているのである。
 将来日本の文学に、ルポルタージュが増大して来るであろうということは、とりも直さず、動いてやまぬ社会は作家に益々より客観的に現実を観得る眼力を要求しはじめていることを語っている。例えばアンドレ・ジイドの「ソヴェト旅行記」は、この作家が彼の主観の角度にしたがってソヴェトから何をどう見て来たかというそのこと自体を、現代文化の崩壊的な一つの現実の姿として眺めるために役立ちはするが、ソヴェト生活のルポルタージュであると云えないことは周知のとおりである。
 徳永直氏が十一月号『新潮』に「ルポルタアジュと記録文学」という評論を書いている。氏が、尾崎、榊山氏のルポルタージュに自己感傷の過度を批難しながら、林房雄氏のレトリックに触れないことは読者にとっては不思議のようである。「太陽のない街」を実例として、ルポルタージュと記録小説との、芸術化の時間的過程の相異を明らかにしようとしていることは分る。が、芸術化の過程が一条件としてもっている諸現象の評価、そのより特徴的な方向の取捨選択の必要を、「現実を歪曲する」権利という表現で強調していることは、理解の混乱をひきおこすと思う。更に、「ルポルタージュなるものは『物が人をうごかす』という唯物論的文学観によるのであり、今日この形式の文学が文壇の関心事となったこともそこに根拠があるのである」と、結ばれているが、既に現代の文
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