]じみた性質を痛感させた実例がある。
この実例の意義は深刻だと思う。某氏の理性の判断は、ゴジが民主を阻害することを知りぬいている。それだのに何故、その判断と反する政党に隷属して、一応にしろ言論の自由のある今日、心ならずも、と汗を拭きつつその党のゴジ論をやるのだろうか。答えは明瞭である。目先の分別では、今日彼の属するゴジ政党は、その社会主義との盛り合わせで、多数党の一つとなれそうに見えている。代議士になり、政権をとるためには、多数が好都合だから、本当は、民主日本の進路を妨げる反動勢力と知りつつ、それに属し、ゴジ論を流布して、当選を当てこんでいる次第であろう。
憲法というものは、明治の日本でも、自由民権の論とその運動とをつぶして、つい先頃までの、人権なきおそろしい日本の政治の発端をなした。明治の開化期では、ほんとに婦人も男子と等しい学力をもって勉強したのに、憲法発布の後は、政談演説さえ婦人はきいてはいけないこととなって、今日に及んだ。
歴史のより前進した今日の段階の日本で、その民主化には全く国運が賭されている。失われた数百万の人民の生命がその人柱となっているのである。ゴジ政党が、所謂政治的な政略上、私たちのおくれた感情を足場として、自党の政権欲の満足のため、不具な憲法改正草案によって反動性を正当化されながら、再びこの私たちを虐げようとするならば、いかにお人好しの私たちでも、それが天皇制の功徳であると、跪きかねるであろうと思う。
総選挙が迫ったこの頃、連合国司令部に、その結果によっては議会の再解散する意嚮があること、対日理事会として、当選議員の資格審査も行われるだろうと云われているのは、肯ける。国際的な注目は、今度の総選挙の日本の民主化に対する危険性を見ぬいていた。その深い危険の温床は、ほかならぬ憲法改正草案の欺瞞性に在るのである。
天皇に、拒否権の無いことを明示していないのは、臨機応変的解釈の危険がある。ところが、この頃自由党は、却って天皇に拒否権を与えようと大いに努力している。その自由党の鳩山一郎氏は、日本を救う人民戦線は拒絶して、反共戦線というものを宣言した。四月六日の『読売報知』には、ヒトラー、ムッソリニ礼讚の自著『世界の顔』についての、外人記者との対談で、「武士道は日本精神の精髄で、ナチス精神との間には多分の近似性がある」と、心ある全国民を戦慄させる断
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