によって掌握されなければならないものだろう。
 この草案の発表された三月七日の新聞紙上には、いっせいに「マ元帥、全面的に承認」という記事が、あわせてのせられていた。「交戦権抛棄の特点指摘」という小見出しもついていたから、世界平和の確立のために、ともかくその点だけでも評価されたのであろうと思った。訓練ある民主精神が、この奇妙な改正草案の矛盾の甚しさを見出さない筈はないのであるから。
 共産党以外の各政党が、これ迄発表した草案は、主権在民という外見をとりつくろうことさえ出来かねる保守的なものなのであった。
 細かく目をとめてゆくと「国民は総て勤労の権利を有すること」とあっても、生活安定のための勤労報酬のこと、休養の権利、失業の保険、養老の保険、現在のような生産手段の独専所有にたいする制限のないことも手落ちであるし、男女平等という、婦人の心につよく訴える規定のなかに、社会的平等の地盤となる同一労働に対する同一賃金の必要や、まだ日本に決められていない婦人の公民権のことなどが明確にあらわされていないのも、不十分であると思われた。
 あれこれの点があるにしても、これは草案であって、決定ではないのだから、と思っているうちに、総選挙が迫って来た。
 選挙運動がはじまって、乱立した各党が一票を我党へ、の活動を開始しはじめるや否や、この憲法草案が、どれほど日本の民主化のために害悪を及ぼすものであるかが誰の目にも明らかになって来ている。
 今日、共産党以外の政党は、悉く、天皇制護持という点を売りものとして、民心にこびようとしている。ラジオ放送、演説でくりかえすばかりでなく、茨城県の或るところでは、元校長の某氏が立候補して、立会演説があった。国民学校である会場へゆくと、各教室からワラワラと馳け出して来た児童らが、両手をメガフォンにして「ゴジ!」「ゴージイ!」と叫んだ実例がある。
 ところが、この「ゴジ」が如何に真心なき政略であるかという実例も、公然とあらわにされて来ている。やはり立会演説の公開の席上で、社会主義即時断行と天皇制護持と、決して両立し得ない二つのことを並べて綱領としている一政党の立候補者、執行委員の某氏は、聴衆の面前で、個人としての見解は必ずしも自分の属す政党の意見とは一致していないが、党代表として語る党の立場は、云々と護持論を発表し、大衆に今更その政党のヌエ[#「ヌエ」に傍点
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