成って居た心持に、此程の動揺を与えられたと云う点から、私はどの位、此の小さい僅かの紙切れに感謝する事だろう。従って、その感謝は、其を書かれた芥川氏にも、其を私の手にまで運んで来た総ての機会にも、当然捧げられるべきものであろう。
私は、此の歓びから満ち溢れる感謝を、今、誰に対しても、何に対しても惜もうとは思えない。芥川さんにも、海へも落さずよく運んで来た麻嚢にも、私は真心から有難を云う。真個に有難う……。
けれども、私は又、此の興奮の最中に在りながら、一体、何で自分が此那に、じっとして居られない程熱く成って居るかを考えずに居られない。
御覧なさい。私は今、真赤な顔をして居ます。頭の中じゅうが、ブンブンと廻るような気がして居ます。けれども、一体何が、真個に、何が此那に、自分を動かしたのだろう――。
凝《じっ》と考えて見ると、私の興奮したものは、紙切れに印刷された言葉ではない。事件ではない。その言葉と言葉との間に、〔二字分空白〕として立ち迷って居る響の影である。捕えれば消えも仕そうな陰影と陰影との限り無い錯綜である。その錯綜の産む気分である。そして、その気分は嘗て洛中に住む一人の都人
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