う」
[#ここで字下げ終わり]
 美くしい小さな詩人は冷たい風に吹かれる様な様子で部屋を出ました、そして急いでお昼をすましてすまない様な恐ろしい様な心地を抱いて又裏の花園からローズをたずねました。ローズはうしろむきに何かして居ました。けれども嬉しそうにその美くしい裾をヒラヒラさして出て抱える様にして部屋に入れました。一時間二時間若い詩人と美くしい三つ年上の女とは夢の様に淡いそして強い香を持った霧に立ち込められた様な柔いそして又つかれた気分で四時間位は夢の様にすぎてしまいました。左様ならをして家にかえったあとにローズが小さいやわらかくふるえた声で詩人の美くしい髪をなでながら、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
ロ「貴方が十五で私が十八、三つ上」
[#ここで字下げ終わり]
と云ったのと深い心がありそうな目つきで見つめて居たローズの目の様子はどうしても忘られませんでした。その夜は詩人は外にも出ず書きもせず黒ずくめの着物を着た母のわきで祖母を対手にかるい調子で世間話をするのをききながら時々はりのある声で笑ったり時々母の話にあやをつけたりして床に入ってしまいました。翌朝まだ日の出ない内に詩人の部屋からは燈の光がもれてそしてペンの紙をする音が寝しずまった空気をふるわして居ました。朝母がもう起きたのと云う声をかけた時にはもう机の上には墨の模様のついた紙が沢山散って居ました。
 それから一週間ほど食事の時毎にかおを合せるきりローズにも誰にもかおを見せないで一生懸命に書いて居ました。たった七日の間でした。時間にしたって百六十八時間の間でしたけれどもローズにはどんなにつらいそして長い時だったでしょう。旅に出て居た時にはいくら思っても帰ってくるまではと思っていましたけれどとなりどうししかも声をかけたらきこえる所に居ながら一日も合わずに七日もすごす、ずいぶんつらかったんですけれども、
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ロ「私の大切な人は今大変立派な物を書いて居るのだ。あの人の名誉は私の名誉、又この土地の名誉、我まんしましょう」
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 強い勇ましい心をもって我まんしていました。八日目の夕方久振、ほんとうに久ぶりにローズの部屋に可愛い形をした詩人の姿が現れました。戸口を入るといきなり、
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詩「ローズローズ、見て下さい、とうとう出来ましたよ。私はまア、どんなにうれしいでしょう。私は貴女に見てもらってから町に行って本にする様にたのんで来ましょう。馬でネ、二人で行きましょう」
[#ここで字下げ終わり]
 はずんだ声で云ってさし出した手にはあついあつい、書いたものがのって居ました。
 ローズは「もうたまらない」と云う様なそわそわしてそして又いつもより一層娘らしい形をして立ったままそれをよみました。そして紙の上を走って居る目は驚とよろこびと一所になってそれはそれは美くしい光がさして居ます。書いたものは厚い厚いものです。中々一日によみきれそうにもありませんでした。所々、紙を重ねてめくって終まで来た時、
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
ロ「マア、なんと云う立派な詩でしょう、早くお出しなさい、私すぐ馬の用意をして服を着かえますよネ」
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 うれしくてたまらないと云った様な様子をしてローズの姿が戸口から消えてから十分立つとかるい色のいい形の乗馬服を着たローズの姿がまた戸口から出ました。
 五分たってから真白な馬は二匹頭をそろえてみどりの森の間をくぐって燈の光の多い町に急ぎました。三十分立った時二匹の馬は町のにぎやかな所の本屋に立って居ました。詩人は柔い雅号で出版の手つづきをすませて又二匹の馬は村に向いました。詩人の母や祖母はふるえる様によろこんでこの美くしくて幸多い人の行末をどうぞまっすぐに行く様にと夕のおいのりはいつもより倍も倍も久く時をかけました。その翌日もその翌日も楽しく嬉しく望多い日が経ました。一週間たって若い力のある人々のあつまって居る文壇に一つの可愛い姿をした詩集が顔を出しました。何か変ったものがほしい、何かめずらしいものがほしいと思って居た人々はそのめずらしいお客様を早速手にしました。人々はそのめずらしい旅の様子に驚かされその美くしくてやさしい歌言葉に驚かされました。本の評判は見る見るあがって日々の新聞にはいろいろの人がいろいろな目をもって評して居ました。けれどもどれ一つとしてそのものを悪く云ったものは一つもありませんでした。その筆の達者な美くしい詩を書く人はどんな世なれた人かと思ってその住居を訪ねた人は母にたすけられて出て来た美くしい女の様な目の大きな少年がその作者ときいて驚はますます深められました。世間の人々は美くしい人をなお美く
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