がある。
 故国から来る贈物は、自分の生れたところから来た物と、自分をいつも愛して下さる両親の心遣いで送られたものという二重の意味を以て、私の心を喜ばすのである。
 此も旅に居なければ味えない心持であろう。
 今年は、珍らしく五つになる妹の御誕生日に何か送って遣ろうという心持になった。
 母上からの手紙で、暫く見ない彼女が、私の居た頃よりはずっと沢山言葉を使って、丁度私が仕たように小まめにくるくると家中動き廻りながら、
「御ねえちゃは何故御帰りにならないの? 御かあさま などと云います」と云われた許りではない。
 送るものは些細でも、きっと、私がこちらで感じるような幸福な、有難いというような感動に心を打たれるだろうと思うからなのでもある。
 勿論、今のポジションを使用して、有難がらせようという程さもしくはなって居ない。
 只、私の胸をときどきに満たす、彼《あ》の遙かな、しみじみとした、人間らしい感動に一寸でもひたらせて遣りたい、あげたいという心持である。
 其等の感謝から起った、何か上げたいな、という心持は、今日自分にこまこました玩具だの、袋だのを買わせた。
 木製のカヌーだの、絵だの
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング