ているアンネットの方は、すべてをもっと抽象的に話す。これも、作者の洞察の二様の鋭さであって深い興味を呼びおこす点である。
 近頃日本でも一部の若い女のひとが結婚はせず母にはなりたいという、その言葉の中に、どれだけの現実性があるのだろうか。又どれだけの部分が文学的な表現であり、更に下っては誠意のない一つの嬌態なのであろうか。
 女がその生涯の終りに、自分が女であることの歓喜に包まれて死ねるように生きたいと希う心は激しくつよいのであるが、女としてのよろこび、悲しみの自覚のむこう側にはいつも分担者としての男がなければならず、更に大きい背景として当代の男女を活かし殺す時代というものの歴史性の強い作用がある。現代が、女としてのぞましい結婚のむずかしい時代であること、のぞましい結合に障害と破壊との加えられ易い時代であることは明らかなことである。けれども、子供はもってよいというひとが、どうして、その前の、男女の結合の形態を、社会常識の上でもっと広やかで自然な、人間的な、相互交流の形に高めようとする情熱を感じないのであろう。その情熱ぬきに、子供の側から見れば、それが多くの場合歴史的な桎梏となっている今
前へ 次へ
全7ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング