うな思いのすることだったろう。
省吾という人がそんなにしてアメリカなんかへ行ってひどいこりかたまりになってしまったわけや、日本へかえって来て、そこで亡くなった気持には、深い複雑な、そして痛切なものがひそんでいたらしく思われる。若い良人でもある兄も、若く美しい新妻であった母も、不言の裡に、この熱烈な気質の弟の決心の動機を理解していたと思える。それが奇矯ではあるが純潔なろうとする意志によっていることや、アメリカほど遠い海を踰えてしまわなければ、そしてやがてはその大きく強い情熱が理が非でも擒にしてしまう神だの地獄だのをつかまえておかなくてはならなかった内心の苦悩を、父と母とは同情をもって推察していたと思う。
この叔父が、『女学雑誌』を読まなかったと、どうして云えるだろう。
同じ古本のつみ重りの下から、池辺義象の『仏国風俗問答』明治三十四年版と、明治二十五年発行の森鴎外『美奈和集』、同じ人の三十五年二月発行『審美極致論』が埃にまびれて現れた。「当世書生気質」を収録した『太陽』増刊号の赤いクロースの厚い菊判も、綴目がきれて混っている。
こんな本はどれもみんな父や母の若かった時分の蔵書の一
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