ったから、子供のための本にしろ、そこに神だとか罪だとか、天国とか地獄とかをぬきにしては物を云うことが出来ない。「神の大いなる日」という本をこの人が書いていて、それにはこまかい銅版刷で世界の終りの日の絵が插画になっているという仕儀である。
 母には、天国地獄というものさえ奇怪だのに、まして、叔父の云うことをきけば、親と子とさえ、信仰の有無で最後の審判の日には天国と地獄とへ引きわけられなければならないというに到っては、迚もそのような信仰をありがたがることは出来ず、ひいては、自分も手つだってこしらえる子供の本が、そういう考えで作られてゆくことにも承服しかねたらしい。段々二人の間に議論がおこって来た。そして、どちらも譲らなかった。本の計画は中絶したまま省吾叔父は亡くなった。日本へかえって亡くなるまでどの位の月日があったのだろうか。ほんの僅であったように思う。私が小学一年の頃で、駒本小学という学校の門のところへこの叔父が迎えに来ていてくれたことがある。大きい大きい大人の男が、髪を長くして肩のところ迄下げているというのは、何と珍しく、少し怖しく、それを見てびっくりする友達たちに愧しくきまりわるいよ
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