たちに一層親愛な暖さを感じさせる。そこには、仄かに父が自分の結婚や家庭や子供たちの教育について抱いていた若々しい希望というようなものが語られているから。
 だけれども、もしかしたら、これを書いたのは叔父の省吾という人ではなかったかしら。この人の字癖を知らないけれど、父とは二つか三つ年下の弟で、高校時代にふらりと支那へ行って、そこで一年ほど何かの学校の先生になっていたことがあるというような気質の人であったそうだ。烈しい一図な天性で、東大を卒業するという年に、皆の手をふり切ってアメリカへ行って、やがて宣教師になってしまった。明治三十九年頃かえって来て程なく中耳炎でなくなった。
 若い嫂であった母を対手に、子供のための本を書くことを計画して、その思いつきは折から父が外国へ出かけていて留守中だった母をもかなり熱心に動かしたらしい。耳から頭へ大きく白く繃帯をかけた、どっちかというとこわい顔の大柄の叔父の病床のわきで、母は叔父の口述する話を書きとったりしてもやったらしい。けれど、この計画は到頭実現しなかった。それというのは、何しろこの省吾という人は、鱗のない魚はたべないというほどのキリスト信者であ
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング