筆記したのだろうと思える。試験管を焔の上で熱する図などが活々としたフリーハンドで插入されていて、計らずも今日秋日のさす埃だらけの廊下の隅でそれを開いて眺めている娘の目には、却ってその絵の描かれている線の生気に充ちた特徴の方が、文字よりも親しく晩年の父の姿や動きを髣髴させる。内容としての化学は、かなり初歩が筆記されているらしいのに、それを書いている字ばかりはいやに大人らしく立派で、そこにもまざまざと明治二十年代の青年の生活がうかがわれる。
 父は詩をつくることと篆刻《てんこく》が少年時代の趣味だったそうで、楠の小引出しにいろいろと彫った臘石があったのを私も憶えている。その少年が十六のとき初めて英語の本を見て、なかの絵が出て来る迄、さかさに見ていたのが分らなかったということも聞いている。
 明治二十五年の『女学雑誌』と云えば、元年生れであった父は、二十五歳の青年になっていたわけである。進歩的な気質の青年らしく、父は『女学雑誌』などをも読んでいたのだろうか。二人の妹があったから、その妹たちに、その雑誌のことを話したり、読ませたりもしただろうか。もし若い父が読んだのなら、表紙裏の抜き書きは、私
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