ぞって永井荷風の「浮沈」「踊子」「問わずがたり」などをのせ、ひきつづいて正宗白鳥、宇野浩二、志賀直哉などの作品をあらそって載せた現象は、日本の悲劇の一面をあらわした。商業雑誌は、戦争協力をした作家をさける必要を感じた。編輯企画の行われた前年の八九月は、まだ治安維持法が撤廃されていなかった。したがって、もとのプロレタリア作家の作品を求めることには不安があった。これら二つの条件をさけて、しかも戦後にひろがった雑多な読者層、文学作品とよみもの[#「よみもの」に傍点]との区別を忘れ、或はそれをしらずに戦争の年々を育って来た読者層を満足させるために安全なプランといえば、「おかめ笹」「腕くらべ」などの作風によって親しみやすく思われている永井荷風に着目することとなった。
一方『近代文学』『黄蜂』などは、『新日本文学』とはちがった角度から、新しい文学の誕生のために努力した。『新日本文学』は小沢清「町工場」つづいて熱田五郎「さむい窓」、林米子「矢車草」など、職場に働いている労働者作家の作品を発表しはじめるとともに、徳永直「妻よねむれ」、宮本百合子「播州平野」などをのせはじめた。
永井荷風によって出発
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