った。
 一九三八年から九年にかけて満州と中国に侵略した日本の軍事力は、ますますあれ狂って張鼓峰事件をおこし、ノモンハン事件を挑発した。文学者数十名が「武漢作戦」に従軍し、林芙美子は当時有名だった「北岸部隊」をかいた。国内では国家総動員法が全面的に発動され、国外ではヒットラーのナチス軍がポーランドに侵入しヨーロッパを火と死のうちにつきこんだ。
 このような年に婦人作家の活動が現代文学史のいつの時期よりも盛であったと記録されるのは、どういう理由からであったろう。窪川稲子「素足の娘」、真杉静枝の「小魚の心」「ひなどり」(短篇集)、大谷藤子「須崎屋」、中里恒子「乗合馬車」、壺井栄「暦」、そのほか矢田津世子「神楽坂」、美川きよ、森三千代、円地文子など当時の婦人作家はその人々の文学的閲歴にとって無視することのできない活動をした。一九三九年度の芥川賞、新潮賞などが婦人作家に与えられた。ジャーナリズムはこの年を「婦人作家の擡頭」という風によんだ。
 この現象は、しかしながら、決して婦人作家に未来の発展を約束する意味での擡頭ではなかった。なぜならばこの年の活動を通して一定のポスター・バリューをもつこと
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