として獄中にあった佐野、鍋山が侵略戦争とその命令者である天皇の絶対権を支持する声明を発表した。
彼らの恥ずべき卑劣さのために、プロレタリアートの政党や文化・文学運動に直接結ばれていない人々まで、その良心から語る戦争批判、日本の絶対主義的支配に対する批判、戦争という事実が示す階級社会の富と正義・文化の偏在などに対するヒューマニスティックな検討の自由さえも、ねこそぎ抑圧されることになった。日本は憲兵と思想警察の日本となった。
一九三二年の春以後は、機関誌『プロレタリア文学』の発刊も困難となった。プロレタリア文学運動が、国際的な成果をくみとりながら十年のあいだ前進させてきた現代文学の発展段階を、多くの人々がそれぞれの政治的文学的云い方で否定し、抹殺し、その流れから身をかわそうとする動きが支配的になった。
現実から目をそらした「文芸復興」の声が現実にもたらすことのできたのは、随筆流行にすぎなかった。内田百間の「百鬼園随筆」につれて、森田たまが「もめん随筆」をもってあらわれた。
一九三四年に日本プロレタリア作家同盟が解散された。その秋の陸軍特別大演習には菊池寛その他の文学者が陪観させられ
前へ
次へ
全60ページ中34ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング