本たか子、戸田豊子など労働婦人の生活と組合の活動にふれた婦人たちの文章もあらわれた。
『女人芸術』がその急進性によって、プロレタリア文学運動に参加している婦人作家の作品や組合婦人の声を反映してゆくために、長谷川時雨の希望する以上に『女人芸術』の革命的な熱情がたかまって行った。一九三二年の春、プロレタリア文学運動にきびしい弾圧が加えられたのち、『女人芸術』は廃刊されて、『輝ク』というリーフレットとなった。そののち、侵略戦争がすすむにつれて『輝ク』は、陸海軍に協力して「輝ク部隊」というものに編成された。
 一九四一年時雨の死去ののち「輝ク部隊」も自然消滅した。

 十二年間[#「十二年間」はゴシック体](一九三三―一九四五)

 一九三三年の一月ドイツではヒットラーが政権を得、二月日本政府代表は国際連盟から脱退した。小林多喜二がこの年二月二十日築地署で拷問によって殺された。一九三一年九月にはじまった日本帝国主義の満州侵略は、三二年一月に拡大されて上海事変となり、侵略を拡大しようとするファシストと軍部の若手将校によって五・一五事件がおこされ、犬養首相その他が暗殺された。六月には共産党の指導者
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