しての女は描けなかった。この現象は、案外に深く文学そのものの人間性につながる意味をもっているものではなかろうか。婦人の芸術的能力が客観性をもたず弱いから、男の作家の描くような女が描けず男がかけないという解釈だけでは、不充分なものがある。資本主義の社会体制は婦人を人間的にあらせることが不可能な条件の上に保たれている。資本主義社会内に対して、新しい歴史の力が闘いをいどみはじめた第一歩である自然主義の時代、特に日本のように、近代化がおくれて女の抑圧されている社会で、少くともものを書く婦人が、封建的な小市民道徳に抗議する男自身、女に対してもっている封建性への抗議をとびこさなかったのは一必然であった。
 一九一〇年八月におこった幸徳秋水たちのいわゆる「大逆事件」が、高まる労働運動を封殺して絶対主義権力を守るために利用された大仕掛な捏造事件であったことは、今日すべての人の前に明らかである。
 しかしこの事件の真相をつきとめることさえも許されなかった当時の情勢の中で、「大逆事件」は、片山潜、堺利彦、西川光二郎、山口孤剣によって大衆化した社会主義運動を地下に追いやったばかりでなく、フランスから帰って間
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