が、全女性行進曲というものの歌詞を募集したとき、伊豆の大島の小学校の教師をしていた一人の若い女性が、当選した。それが松田解子であった。秋田の鉱山に生い立った彼女は、プロレタリア文学運動の時代、婦人作家として一定の成長をとげた技量を、現在の多面な民主的政治的活動のうちに結実させようとしている小説「尾」(新日本文学)そのほか多くのルポルタージュ、民主主義文学についての感想などがかかれはじめている。
一九四六年四月に網野菊の「憑きもの」が発表された。この作品は第一作品集『秋』から『光子』『妻たち』『汽車の中で』『若い日』その他二十余年の間つみ重ねられてきたこの作家の、日本的な苦悩をさかのぼって照し出す感動的な一篇であった。このつましい、まじめな婦人作家は、永年にわたって彼女の一貫した題材となっていた不幸な母、不遇な妻、思うにまかせない娘としての女の境遇のきびしい壁が、日本の民主化とともにうち破られて「女もあわれでなくなる時がきた」とこの「憑きもの」の中に語っている。旧い日本から解放されようとするよろこびを、この作品のように素直に透明にうちだした作品は少かった。網野菊の正直なよろこびは、その後うつりかわってこんにちに及んでいる日本の民主化のごまかしとすりかえの甚だしさに対して、どんな内心の憤りを表現しようとしているだろうか。
老いるに早い日本の文学者たちが、六十歳にも近づけば、谷崎潤一郎の「細雪」のようにきょうの一般の現実には失われた世界の常識にぬくもって、美文に支えられているとき、野上彌生子が、「迷路」にとりくんでいることは注目される。「青鞜」の時代、ソーニャ・コヴァレフスカヤの伝記をのせたが、青鞜の人々の行動の圏外にあった野上彌生子。プロレタリア文学運動の時代、「若い息子」「真知子」をかき、労働者階級の歴史的役割については認識しながら、当時の運動については批判をもっている者の立場をふみ出さなかった野上彌生子は、一九四六年後、「狐」「神さま」等の作品を経て、「迷路」に着手した。かつて、「黒い行列」としてかきはじめられ、情勢圧迫によって中絶したこの長篇は、現在第三部まで進んだ。二・二六事件をさしはさんで、ファシズムと戦争に洗われる上流生活の様相と、その中におのずから発展を探る若い世代の歴史的道ゆきを辿ろうとされている。
野上彌生子の理性的な創作方法とはちがって、はるかに素朴な生活力ながら、やはり調べた題材による作品を送り出して来た小山いと子が、最近の「執行猶予」で、経済違反の弁護によって成り上ってゆく検事出身の弁護士とその家庭、現代風にもつれる男女の心理などを扱っている。小山いと子が、中間小説や風俗小説の刺戟的な方法に学んでグロテスクな誇張におちいらないで、むしろ常識の善良さで、この戦後的題材の小説をまとめていることは興味がある。然し、その常識的善良さは、更に鋭く客観的な観察に発展させられる必要がある。
ヒロシマで原爆の被害を蒙った大田洋子の「屍の街」は戦争の残酷さを刻印するルポルタージュである。芝木好子、大原富枝そのほか幾人かのひとがそれぞれ婦人作家としての短くない経験にたって、明日に伸びようとしているのであるが、婦人の生活と文学の道とは、今日も決して踏みやすくはされていない。女が小説をかくというそのことに対する非難の目は和らげられたにしても、既成の多くの婦人作家が属している中間的な社会層の経済的変動と、それにともなう社会意識の変化は、著しい。それらがまだ日常の雰囲気的なものであるにせよ、彼女たちには過去の文学の観念と創作の方法が、そのままで現在を再現し、明日のいのちにつながるにしては、何かの力を欠いて来ていることが自覚されてもいるだろう。
このことは、「白き煖炉の前」にて中里恒子に著しい。中里恒子は、彼女の特殊な生活環境によって、日本の上流家庭の妻となり、母となっている外国婦人の生活をしばしば題材として来ている。戦争中これらの外国婦人たちが日本で経験したことは、彼女たちの多くを日本人嫌悪におとし入れた。人間性《ヒュマニティ》は、一つと信じて生きて来た異人種の男女を、悲しい民族の血の覚醒に導いた。中里恒子の題材は、そのような日本の悲劇の追究をとおして、世界的な意味をもつヒューマニティーの課題である。民族の血の力に追いこまれた人々にふたたび高い人間的脱出を示す可能をひそめる題材である。けれども、中里恒子の文学はそういう環境の女性のしつけのよさと良識、ややありきたりの教養の判断にとどまっていて、作家として偶然めぐり合っている苦しい可能性を生かしきっていない。題材に匹敵する創作の方法が、この作家のところにないのは残念である。
人民的立場に生きる婦人として、生活の実体そのものから、はっきり民主的な地盤に立って生れ出て来ている作家
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