は、既成の人々の生活と文学との上に見られるギャップが、素朴なりに埋められている点に注目しなければならない。多面的な日常生活の困難ととりくみながら、家庭の主婦であり、小さい子供の母である早船ちよが、「峠」「二十枠」「糸の流れ」「季節の声」「公僕」など、次々に力作を発表しはじめている。早船ちよは、「峠」の抒情的作風からはやい歩調で成長してきて、取材の範囲をひろめながら日本の繊維産業とそこに使役されている婦人の労働についてはっきり労働階級の立場から書きはじめている。彼女の筆致はまだ粗く、人間像の内面へまで深く迫った形象化に不足する場合もある。しかし現実生活に根をおろして、階級的作家としての成長がつづけられるならば、この作家の力量はやがて少くない成果をもたらすであろう。
 一九三九年ごろの軍需インフレーション時代、出版インフレといわれた豊田正子『綴方教室』小川正子『小島の春』などとともに、野沢富美子という一人の少女が『煉瓦女工』という短篇集をもって注目をひいた。
「煉瓦女工」は、荒々しく切なく、そしてあてどのない日本の下層生活を、その荒々しさのままの筆力で描き出して、一種の感銘を与えた。その後、何ものにも保護されることのない無産の若い女性が、資本主義社会の中でその身にかぶらなければならないあらゆる混乱をきりぬけて、彼女も小池富美子となり一九四八年末『女子共産党員の手記』という短篇集を送り出した。「女の罰」「肝臓の話」「女子共産党員の手記」「墓標」。それらの作品には、彼女の生活環境と彼女自身のうちにある根深い封建的なものが、反抗と解放への激情と絡みあって、生のまま烈しく噴出している。暗く、重く、うごめく姿があるけれども、そこには、「人間は断じて自滅すべきものではない」という彼女の人民的なつよい生活力が燃えさかっている。「渇いている時に水などほしくないといったような嘘まで、わたしにはとても書けそうもないのです。」「煉瓦女工」の書かれたときも、小池富美子のモティーヴはそこにあった。「女だから特別にひまがなかったり、金がなく食べるものもたべられなかった苦しみをあんまり繰返したくないためには、」「私達はどんな思いをしても一切の生活の嘘とたたかい、勝利しよう。」そして、妻となり子供の母となって東北に生活している彼女は、もっといいものを沢山書いてゆきたいと骨折っている。
 小池富美子が、「煉瓦女工」から、戦争の時代を通って今日に歩いて来た道は多くのことを考えさせる。彼女は泥まびれになってころがり(「女の罰」)時には泣きながらも、萎縮しなかった率直な生活意欲を保ちつづけた。封建的な要素の多い人情にからまりながら次第にそれらが、日本の社会の歴史的なものであるという本質をつかみ始めて来ている。彼女よりもひと昔まえの一九二〇年代の後半にアナーキズムの渾沌の裡から生れ出た平林たい子が、「施療室にて」から今日までに移って来た足どり。「放浪記」の林芙美子がルンペン・プロレタリアート少女の境地から「晩菊」に到った歩みかた。はげしい歴史の波の一つの面は、平林たい子、林芙美子という婦人作家たちをそのような存在として押しあげた。歴史の波のもう一つの面は、社会の底までうちよせて小池富美子を成長の道におき、印刷工場のベンチの間から、「矢車草」「芽生え」の林米子のために新しい生活と文学の道を照し出した。
「雨靴」石井ふじ子、「乳房」小林ひさえ、「蕗のとう」「あらし」山代巴、「遺族」「別離の賦」「娘の恋」竹本員子、「流れ」宮原栄、「死なない蛸」「朝鮮ヤキ」譲原昌子。その社会的基盤のひろさ、多様さにふさわしく、これらの婦人たちは人民の文学としての発言の可能を示しはじめている。けれども、人民生活と文学との苛烈さは、「朝鮮ヤキ」のすぐれた作品を最後として譲原昌子を結核にたおした。新しく書きはじめている婦人たちの文学は、早船ちよをやや例外として、まだその大多数が、小規模の作品に着手しはじめたという段階である。題材と創作方法の点でも、人民生活としてのひろがりをふくみつつ自身の生活によって確められている地点から語りはじめているのが特徴である。
 小説というものが、人間、女――人民の女としてこの人生に抱いている意志と情感を語るものとなって来ていることは、この四五年の日本の社会の、すべての矛盾、欺瞞をしのぐ人民の収穫として評価されなければならない。
「海辺の歌」の松田美紀。一九四九年度に作品を示した戸田房子「波のなか」、畔柳二美「夫婦とは」、『四国文学』に「海軍病院の窓」をかいた正木喜代子。広津桃子「窓」、関村つる子「別離」。環境的な重荷をもって出発してる由起しげ子(「本の話」「警視総監の笑い」「厄介な女」その他)、波瀾のうちに、どのような発展をすすめて行くだろう。
 幸田露伴という文人の、博
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