とを書くような女は嫁にすることは困るということはまた別で、作品の上にはいいえられないが作者の上にはいっても差支えはない」と。
 このようにして漱石が矛盾に足をとられ、過去の勇敢な婦人作家たちが自然発生的な自身の生活と文学の限界で解決することのできなかった婦人の社会的悪環境の問題として、有島武郎は「或る女」の女主人公葉子をとらえるまで前進した。しかし「或る女」において女主人公葉子は自分を有閑階級の腐敗に寄生する苦悩から救い出す社会的モメントを最後までとらえることができなかった。葉子とともに、作者有島武郎も自分自身生活と文学とを発展的に良心的インテリゲンチャとして成長させるための飛躍をなし得なかった。
 中條(宮本)百合子は、一九一六年「貧しき人々の群」によって困難な婦人作家としての出発をした。少女の年齢にいたこの作者のおさなさはその作品に散見しているけれども、東北の寒村とそこに営まれている貧しい小作農民の生活についての観察、その村の地主の孫として経験された生活への省察などは、素朴ななりにリアルな生活感につらぬかれていた。婦人作家の作品といえば男女のいきさつのものがたりに限られていたような当時、自然へのみずみずしい感応とある程度の社会性をもった取材との組合わされた「貧しき人々の群」は人道主義的なテーマとともに一つの新しい出現を意味した。野上彌生子・中條百合子などの生活感情と文学とは硯友社文学の影響から全くときはなされたものであった。

 渦潮[#「渦潮」はゴシック体](一九一八―一九三二年)

 一九一四年八月にはじめられた第一次ヨーロッパ大戦は一九一七年十一月に終った。この大戦の結果、世界にはじめてプロレタリアートの政権が樹立された。帝制ロシアはソヴェト同盟となった。ドイツ、オーストリー、ハンガリーなどの専制君主制は崩壊した。この世界史的な激動は日本にもデモクラシーの声をよびさまし、労働運動と無産階級の文化・文学運動をめざますこととなった。
 一九二三年九月の関東大震災は、この天災を大衆運動の抑圧のために利用した権力によって、社会主義者、朝鮮労働者の虐殺がおこなわれ『青鞜』に活躍した伊藤野枝は、大杉栄とともに憲兵に殺された。けれども、『種蒔く人』(一九二一年)によって芽ばえた無産階級の芸術運動は、その後、一歩一歩とおしすすめられてゆく社会主義理論の展開によって、経済・
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