はばかりなく描かれていることは、実にこの間の消息をかたって興味つきぬものがあるのである。いかなる封建性、きたないブルジョア・エロチシズム横行の中にあっても、その蒙昧さによって一応母の愛はその偽善も、バクロされないのである。
自分は今こそ「妻・母」として Full にものを云い得る。愛する男の美しさについて、その皮膚のすみずみに対する愛について、階級的統一のもとにあますところなく云い得る。
故にこれで明らかなように人体の美も、社会主義の社会において始めて曇りなく描きたたえ得るものなのである。男の美を描き得るためには女は先ず性的奴隷の鎖を切らねばならぬ。
性的交渉の苦々しさを知らぬ女として生活し得る社会になってこそ、そのような恋愛をし得てこそ、始めて女は絶大のよろこびをもって、階級的統一体としての美を男の内にも発見し描き得る。自身のうちに発見し、描き得るように。
底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
1981(昭和56)年5月30日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
1953(
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