いる封建性そのものへの屈伏であることを、作者はそれを正面からとりあげなかったことによって明瞭にせず、同時にこの屈従は宿命的なものではなくて、プロレタリア解放運動達成によって達せられるものであることをも明らかになし得ない。
云わずしてすぎる。見ずしてすぎるという高踏派的態度は実は「無力」の粉飾なのである。
プレハーノフの女弟子、ソヴェト同盟のマルクス主義機械論的修正派の最も有名な[#「最も有名な」に傍点]代表者アクセリロードは、「トルストイの創作を批評するのにもスピノザの哲学を分析する際にも、彼女は永久不変の道徳法から出発している。彼女は、新カント派と多くの論戦を交えたが、弁証法を軽視し、その思惟が機械的だったことは、結局道徳律の問題において彼女を敵の陣営――彼女が一生涯それらと闘ったその敵の陣営に導いた。」
大体思索し得る女流の間に道徳家[#「道徳家」に傍点]が多いのは何故であろうか。これこそブルジョア文化の内的矛盾のバクロ以外の何ものでもない。
ブルジョア文化は、その階級的特性によって、文学哲学の如く高度に発展した形態にあってはごく僅かのブルジョア・インテリゲンツィア婦人し
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