いている若い同胞のよろこび、悲しみ、あるいはそれをさえ溌剌とは表現しない生活のありようというものについて全く無頓着であるとすれば、それは明かに文化の本態の一つの畸型である。逆から見て、働く若い娘たちの感情生活の中心は低俗感傷な映画であって、同じ女が芸術上の貢献をしていようが、科学上の業績を立てていようが、他の星の世界でのことというような状態も、文化の大きい歪みと悲しみとでなければならない。そのような分裂の状態を、真に悲しむべきこととして熱い実感を抱くものが何人あろうかというところに、また文化一般の課題が潜んでもいるのである。
 物資の問題と家計の配慮は、特別女の日常には切実で、そのことでは、一般的な共感におかれているわけだが、文化のこととしてこの間の消息を眺めると、ここにも奇妙な現象がある。女子大学の家政科というようなところで、生計指導のための展覧会を行った。現実の物資の条件をどう理解して、どのような生活設計を立てるべきかという指導を目的としたものであったが、そこに書き出され、物価指数、生計指数として示されている数字は、ほとんどその大部分が古いものであり、やや誇張すれば二年前ぐらいのも
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