のであったそうだ。そして、家賃として余り珍しい廉価が記入されていたので、そこを参観した経済専門のある婦人が、東京にこんな家賃の家が実際にありましたろうかと質問したらば、それはあることは在ったのだそうだ。池袋かどこかの隅にたった一軒そういう家があった。それで雀躍して、その統計の土台につかったのだそうであった。しかし、東京のうちに一つか二つという例外の家賃を基礎にしてこれこれで家計は切り盛れる統計として示し得るものであろうか。どうしても、一定の貯金が可能であることを示そうとしてそのような無理がなされているのだそうであった。
 真の文化性、文化に立った婦人の創造力というものは、こういう非合理や非現実に自然な居心地わるさを感じるものだろうと思われる。教育の程度というようなものが、文化の程度や質と一致するといい切れない適切な実例であると思う。教育は彼女たちに物価指数ということを教え、生計指数ということを教え、統計や図表の製作を可能にした。しかし、生きている生活の姿は、一つの先入観となっている目的を達するために歪められて、あるままの条件、そのうちにこそ国民の多数が生きているその条件を、無視してしま
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