っている。そのような悲しき滑稽というべき婦人の非論理性はどこから忍びこむかといえば、窮極にはその図表の製作者たち自身の実際の生計は、その図表の求めている窮屈な総計の枠内に営まれているのではないという現実の隙間からすべりこんで来ているのである。
彼女たちは、その家政科の学識を駆使して、まず一定の生産的な社会的な勤労に従う男女はどれだけの食餌、どれだけの休養、どれだけの文化衛生費を必要とするか、客観的な標準を立てて、さておのおのの収入総額によってどれだけの不足がどの部分に生じているか、それは今日どんな形で補充されているか、本来ならばこの方法によるべきであろうというところまで示してこそ、リアルな生計図表が社会生活の進歩の方向をとって作られたといえるであろう。
創造の能力というものはもとより無から有を生じさせる魔力ではなく、必ず素材的な何かはすでにあるのだが、それの模写ではないし、ただのよせあつめの累積でもないし、ましてや、あのものとこのものとの置きかえではない。一と一とを足して二になるという関係ではなくて、そこから新しい質の一を産み出してゆく力が創造の力であると思う。過去の歴史の絵巻が示
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