置かれるのである。
婦人の生産場面への進出は、今日の日本で必要とされ奨励され、婦人の文化の成長の可能のようにいわれてもいるのであるが、大河内正敏氏の著などをよむと、文化の課題として、婦人の内部的成長はどう計画されているかという点で考えさせられるものがある。生産の計量に当っては、田舎の若い単純で素朴な女の子の、長時間単調な労作に耐える能力、家族的な従順さに馴らされている気質、それがそれなりに止めておかれて、それであるからこそ労働の素質として好適と見られている。文化の上から見ればおくれている素質こそ、文明のある操作に便宜であるという、文化と文明とのきわめて微妙なさか立ちの形があらわされているのである。
これを、先にふれた婦人作家の擡頭という現象と今日の現実のうちで綜合して見わたすとき、日本の婦人が今日にもっていた文化の畸型的な性格の両面というものが、ほうふつ[#「ほうふつ」に傍点]と浮彫りになって目の前に浮んでくるようではないだろうか。たとえばここに一人の婦人作家があって、彼女は自分の恋愛についての個人的な経験だけをその限界のなかでしきりに小説に書くばかりで、同じ日本の今日の空の下に働
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