程というものは、少くとも日本の文明のある水準を語るものでなければならないと思う。そのことに疑点を挾むものはおそらく一人もないであろう。
ところで、文化の問題として見て、そういう機械について働く技術を覚えた農村数十万の娘たちの日常生活の実質が彼女たちの文化の高まりという意味からどのくらい高められ、広められているかということになると、それへの答えは決してやさしい事であるまいと思う。なぜなら、一定の機械を操る技術を覚えたということだけでは、それはまだ彼女たちの身についた文化としての内容をなすにはいたっていないものであるから。文明の進歩した技術に使われる馴れた小さい手となっただけでなく、それが文化の実質となるためには、若い彼女たちがはっきりと自分たちの従っている生産の意義などを自覚し、その技術が自分たちの生活を社会的にどのような方向に動かしているかということについて、ある判断とそれに準じた態度を持って、生活の感情がその技術の近代性にふさわしい近代労働者の感覚にまで成長させられて来なければならない。そのとき初めて、彼女たちは新しい技術とともによりひろい文化創造の可能を身につけたというよろこびに
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