ろいろと考えさせる何ものかを含んでいると思われる。
 演劇にしろ、彼女たちが光彩を放ったのは常に演技者としてであり劇作家としてではなかった。すでに創られているものをその感受性と表現の力によって再現してゆく、そこに新しい命を与えてゆくことにほとんど限られていた。これはどういうわけであったのだろう。
 笑い話として、男のひとたちは、文化の創造に際して婦人の特色のように見える以上のような現象の説明に、それは芸術神《ミューズ》たちは女だから男を御贔屓さというけれども、そもそも芸術神を三人とも女性で象徴したことのうちには、神をもわが手でこしらえた男の社会上の優位や、女というものを自分の芸術的欲望の一つの刺戟、鼓舞のための存在としての範囲で見ることにおさまっていた男としての趣好が暗示されているのではなかろうか。
 数学のソーニャ・コ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レフスカヤ、物理のキュリー夫人、経済のローザ・ルクセンブルクなどは科学の世界へ踏み出した稀有な婦人の天稟の典型であるが、婦人の思想家としてのエレン・ケイなどは、今日の歴史の鏡に映るものとして眺めた場合、現実の客観的なつきつめの強さ確
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