力の消長というようなものも、基本はここに根ざして、深刻多面な姿を示している。
 過去の長い人類文化の歴史のなかで、婦人の創造力が発揮された面というと、それにつれては芸術的な領野が思い浮べられ、特に音楽、文学、演劇の上に示された業績が考えられる。音楽といっても第一位が声楽家たちであり、楽器の演奏家たちがそれにつづいているのであって、ヨーロッパの音楽史はあれほど幾多の卓抜なプリマドンナの名を記しながら、婦人の作曲家というものはほとんど一人もその頁のなかに止めていない。婦人指揮者というものは、やっとこの頃その初歩的な歩みを公衆の前に現したばかりである。婦人の才能が、一番歴史的に発揮されている音楽の領分においてさえ、その芸術貢献の道が、主として自然発生の女性という性の声楽の美と、その美にふさわしい一箇の喉笛にかかっているというのは、文化の問題として何を語っていることであろうか。
 文学の分野では、日本古典の中にも何人かの婦人たちのかがやかしい足跡がある。詩歌と小説随筆とが、彼女たちの活躍の領域であって、文学評論の古典で、婦人の手になったというものはのこされていない。この点も今日の私たち女にはい
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