はたして何割が、社会人として自力でそれらの本を買い、本をよむことでその自主的な生活力を鍛錬し慰安を見出しつつ生きているのだろうか。アメリカのような国で、勤労して生活している若い娘たちがどのように読書しているか興味がある。ドライサアの「アメリカの悲劇」の中には、読書することで生活になにかがおこったというような男も女も一人も描れていないことが思い出される。
 チェホフにしろ、ストリンドベリーにしろ、女の読者というものにたいしてそれぞれ独特な表現で興味ふかく疳癖を示しているが、このことにこれらの作家たちの芸術魂の清潔さが示されているとばかり云えば、それはいささか単純であろう。そういう婦人の読者とのいきさつそのもののうちに、彼らの芸術と読者との間にあった矛盾や男女の問題における歴史的なくいちがいの悲劇が隠見していると思えるのであるから。――[#地付き]〔一九四〇年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)
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