ってからは、御承知の通り第一次のヨーロッパ戦争で日本にも資本主義が急に発達したから出版業も大きく拡がった。それは円本の流行を御覧になっても分ります。改造社という所は、あの頃もりもり大きくなり、講談社はあの頃から戦争犯罪人になるほど儲け初めた。だんだんいろいろな所で大きな出版をやるようになりました。そうして作家の生活も非常に変って来ました。その変り方を申しますと、いろいろ面白い点がありますけれども、婦人作家のことだけに限っていえば、つまりこういう風な出版は、結局に於ては自分が金を儲けるのが眼目です。どんなに立派なことをいっても金を儲けることが目的で、婦人作家を強大にするにしろ自分の利益と見合せてのことです。一番ひどい場合は、今から七、八年前になりますか、女の作家が非常にたくさんいろいろの仕事をした時代がありますが、ちょうど太平洋戦争の前の時期で、女の人は一所懸命にいい小説を書きたいという努力からいわゆる婦人作家といわれるものが登場して来ていろいろな雑誌にたくさんのものを書くようになった。数から申しますと明治の一葉の時代の一つの大変注目すべき時期と同じように婦人作家の数が殖《ふ》えて大変にたくさん書くようになりました。ところが、そういうときに女の人の作品に対する男の作家の評価と申しますか、文学の中の婦人の文学をどう評価したかという問題になると、そこにはやはり一つの問題があって、婦人作家は作品の中に女らしいものを要求された。女らしいということは、女ですからどんなに男の中へ入っても女は女です。つまり防空演習のときに梯子に登っても、爆弾が落ちたとき何を被って逃げたとて女は女である。別にそんなに女々といわなくとも自然に女は女の可愛いところがある筈です。文学評価の中にへんに女っぽいことを持込む必要はないのです。女らしい女心、女の心ですから女心になりますけれども、同じことをいっても女の声は自然にソプラノになるのだから。女はまた女の持っている特殊な社会状態があるから男の知らない状態もたくさんあるわけです。それを正面から女らしさという問題で片づけるのでなくて、女がどんなに人間であるか、男と同じように、この世に幸福を求めて幸せになって一生の値打を発揮して安心して働いて生きて行きたいという、男と共通の人間らしい心を先ず認めて欲しい。別に意識的にソプラノを歌うのでなく、人間の声を出せば女は自然にソプラノとして出て来る。そのように文学は生活の声であり、心の声、思いの歌である。女が歌えばソプラノにもアルトにもなるけれども、それは女の芸当ではない、もっと真面目なものです。ですから、或る時代に婦人作家が大変に擡頭した場合にも、真面目な婦人作家は苦しみました。それは妙な女っぽさを要求されたからです。ざっくばらんにいえば、婦人で画を描く人、婦人で小説を書く人は、なんだか普通の女の人と服装《なり》から、見たところから違う、なんとなく一風変った風になってしまいます。それは生活が普通の女の人よりもう少し自由であり自分というものを主張しているのですから、服装にもすべてにも現れるということはありますけれども、或る意味ではそれを自分から誇張するような立場に入る。そのために、女の人の文学がそれほど数が殖えた時代でさえも、女の人が真面目な婦人の社会的な問題について闘う態度、喧嘩腰ではないにしろ、真面目にその人がそれを求めているということが強く強く主張されるように理解されるように心を打つ文学、そういう風なものが少く、縫取りしたもの、やはり女細工で色どりがきれいでしなやかな、あってもなくても日本の文学が前進しなかったもの、つまり飾りが殖えたもの、そういうものが多かった。そういう時代に、たとえば極く新しい人として、作家にならない時代の豊田正子さんとか、野沢富美子さんとかいう人が出ました。野沢さんも、豊田さんも才能のある人で、生活にしっかりくっついたいい素質を持っている人です。それをどういう風にジャーナリズムの関係では利用されたか、豊田さんは「綴方教室」で有名になったけれども、本当にあの人を立派な作家として育てて行くために何をしたでしょう。中央公論社は小説を出して儲けて社会的の一つの機会を与えただけで後はそのままです。野沢富美子さんの「煉瓦女工」はこの頃になって映画にもなっているけれども、第一公論社は野沢さんを食ったような所があります。そういう風にして、立派な才能、或はよくなる才能でも、商売と結びついた文学の中では非常に純粋に立派に伸ばすという真面目な気持をもって扱われにくい。商売の本性はそういうものです。
それがもっと悲惨なことになったのは、婦人の文学ばかりではありませんけれども、戦争が始まって以後、最近の終戦までの間の文学です。この間の日本の文学の在り方はどうであったか。作家が腰抜けだったということもいえます。しかし日本の作家はヨーロッパの作家よりも日本の経済基礎が薄弱なため文学上の経済的条件が悪いからその日暮しです。家族を養って行くためには食わねばならぬ。食うためには、月給取ではないから書かねばならない。書くのは何か、天に向って書くわけではない。紙にペンで書き、その書いたものが印刷されねばなりません。印刷はどういう過程でされるかといえば、やはり商売の雑誌、ジャーナリズムの上に発表される。そのために出版業者は情報局の忌諱《きき》に触れるものを出したら睨まれて潰されるかも知れないからぐにゃぐにゃになって、できるだけ情報局のお気に入るようなものになって存在しようとする。そういうものに作品を載せねばならないとすれば、腹が立ちながらも、割りきれないものを感じながらも、或る程度追随して行かねばなりません。日本の最近の実に野蛮極まる文化の堕落で、男の作家は勿論のこと、女の作家でも非常に困難な状態になった。その人が悪いということでなく、そういう風な全体の仕組みのために作家は辛い状態におかれました。それと闘うことができないほど上からの圧迫があり、治安維持法は恐ろしいものだった。それに対して女の作家も十分な闘いをすることができませんでした。それでみんな大変苦しい状態を過して、そういう歴史を経て、今日私どもの日本ではやっと民主化という声が始まりました。明治以来、初めてめいめいが一人の人民として生きて行く権利があり、自分が感ずることを正直に述べてよい権利があり、書いてよい権利があり、社会を自分達のものとしてよくして行き、明るく愉快にして行く、それでよろしいのだという時代が始まって来ました。ですから、文学もここで改めて考え直さなければならない。日本の民主主義の文学、民主的な文学の伝統は明治以来決してなかったわけではありません。第一、明治の初めはフランスの影響を受けて自由民権の思想が盛んで、男も女も一人の人民として平等の権利を持って社会を建設して行くべきだという観念があって、その頃の女は男と同じ教育程度を持つようになっていた。けれども、明治二十二年に憲法発布になって、日本は封建をひっくりかえして新しい日本になった筈だけれども、憲法が発布されると同時に、元の封建の方が都合がいいと思ってだんだんそういう風になった。女の教育も女学校が三十二年かにできて、女は内助者としての学問があればいいということに文部省で決めました。ですから、女の教育程度は明治の初めにおいては高かった、文学をつくる素質も高かった。そうして自分の能力を発揮することもできました。けれどもその後は男がつくって行く世の中で、男の損にならない程度に利巧であって男の邪魔にならない程度に馬鹿であるという女を要求しました。ちょうど日本の政府が徳川時代からの農民をそのまま小作人にしておいて――徳川時代には百姓は生かすべからず殺すべからず、はっきり生きればいろいろ文句をいうし、殺してしまえば働かないからといった考え方だったのと同じです。女というものもそれに似たようなもので、あんまり馬鹿でも困るが利巧すぎても厄介だという風にしてやって来た。そのため婦人の民主的な文学というものは婦人自身の中には非常に僅かしか芽生えないで、そのあとは進歩的な男の人達が文化全体の問題として問題にしました。
一葉の時代でも或る種類の――内田魯庵という風な評論家たちはやはり一葉なんかの文学に対していろいろ疑問を持っていたけれども、平塚雷鳥の出た明治四十年頃、青鞜社の時代という頃には女の人自身が自分達で自分達の才能を発揮するようにという希望で婦人の才能を押出そうとしました。ところが、その時代はまだ婦人のそういう風な才能を押出すということはその人が社会的に本当に独立していなければ成り立たない、親の脛をかじって気焔を上げても駄目だということが分っていませんでした。そのために平塚さんたちの青鞜社の運動も或る種類の僅かな人、たとえば野上彌生子さんのような人は後には青鞜社から離れたけれどもあの時代に出た人です。青鞜社の全体の方から申しますと、はっきりした社会的基礎をその人達が持っておりませんでしたから、雷鳥さんは年をとってしまって大本教の信者になった。社会の中にはっきり自分を密着させていなかったからです。
今から十何年か前に、世界と一緒に日本の民主的な文学運動――その頃はその時代の或る歴史的な理解からプロレタリア文学といわれたけれども、しかし根本は今日私どもが求めていると同じように、人間は人間らしく生きよう、人間の声は十分出されていいもの、そうして美しいものをつくって行こう、ということを主張した文学運動――がおこりました。その方向は、やはり民主主義的な基礎に立っていますから、婦人も特に男より劣ったものとは考えない。却って婦人が今までたとえば小学校教員でも女の教員は月給が初めから安く、且つ永久に安い、たとえ五円でも安くなければ気が済まないという有様で、各官庁会社に勤めている婦人達もそうでした。あの人がいなければちょっと困るという位置の人でも地位は男より低い。古い古い女の人を見ると、うちの国宝だとか、生字引だとか、女でないものになったような扱いをする。そういうことから、苦しくて罷めてしまうという場合もある。それから家庭における女の人がやはりあまり利巧でも困るが馬鹿でも困るというひどい扱いを受けている。そういうことに対して女の人の十分な声、十分な立場、女が幸福であれば男も幸福であるというそういうことを主張していた佐多稲子さん、平林たい子さんのような人達、このような人達は女というものは男よりも決して劣ったものでなく、劣っているとすれば、今までの永い歴史の中に女のおかれていた社会的な地位、そういうものが女を苦しめ低くし、同時にそれが男をも苦しく低いものとした、だから男と女とは援け合って生活全体をよくして行かねばならないという立場に立っている人達、そういう時代に出た婦人作家達も、歴史的な素質を持っています。こういう人の小説は新しいはっきりした日本の歴史における社会的地位を持っています。
戦争の間はみんなひどい目に遭いました。誰でもその時楽をした人はありません。それで、今日になって初めて自分達の口を抑えていたものがとれて、なにかというと私どもの手からペンを取上げて牢屋へぶち込んだそういう力はなくなった。今こそ私どもは日本全体が新しい民主的な日本になろうとする喜びの中に全身的に参加して行くという熱情を持っています。婦人参政権は文学という問題と違うけれども、政治は毎日の生活を処理して行くものであります、この頃のどさくさで金を儲けている人間もあるが、しかしわれわれはやはり困っています。そういうことについて現実の生活が教えている以上、一葉が文学と生活を一つものと理解することができなかった歴史に鑑みて、一葉が才能があったかなかったかの問題でなしに、今日私どもは一葉より才能が少いかも知れないが、しかし私ども全体はこのゼネレーションというものに誇りを持っています。今日の世界に生き、今日の日本に生きているという誇りと献身的な情熱を持っています。
それは、あなた方が今日話を聴きにおいでになるそのお心持の中には
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