シンボルになった時代があります。――けれど私は陋屋の中で小説を書いている。女はつまらない、男は愚か者でも世の中を渡って行くのに、と一葉は或る自己批評をして、こんな苦しい生活を止めてしまおうかと思ったことさえあった。そんなに憤慨して熱血迸るというところがある。それだのに小説をお読みになれば分るように、「たけくらべ」「にごりえ」のようなものに女の憤慨を漏していますけれども、一葉はその時代の婦人の文学というものの考え方、いろいろなものに支配されて自分の憤慨している気持、向島の歌会の風流の中で憤慨して苦しく思った気持、それをその儘あれだけ立派な文章の書ける筆で書かなかった。若し一葉がそういう気持を小説として書いたならば、あの時代としたら全く新しい小説、新しい明治の女の小説であった。しかし、一葉はやはり自分の持っている社会に対する理解から文学というものを一つの風情としています。一つの凜《りん》とした形として自分の文学の中に表現して、人にも訴え、人の心の中にもその欲望がある、人の生活の中にも条件がある、お互いの生活に共通しているもの、それを感じることができなかったわけです。
 その後、大正の頃にな
前へ 次へ
全33ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング