った独特な作品ですけれども、これらの人々から後、イタリーの民衆は営々として数世紀を生活しつづけて来ております。そして、マルコニーのように人類に貢献した発明家や卓越した何人かの音楽家、作家にしてもボッカチオのように市民社会の擡頭期を代表する立派な作家もありました。イタリー人の歴史の中には、たくさん立派な人が出ております。しかし、ファシズムは、主観的な、独裁の立場から、そういう風に本当の民族の宝を歴史の段階に応じて掘り出して、それを今日に生かすという角度から自分達の民族の歴史を見る能力をもっていませんでした。世界に対して自分だけが号令をかけようとしたばかりか、自分の民族に対しても文化独裁の号令をかけました。それには、誰にも一通り異存のない、民族の誇りという単純な固定した標準を押しつけて来た。こういう点から考えてみると、日本の最近数年間に「源氏物語」が官製翻訳され、文化上の偉い婦人作家といえば紫式部にきまったもののように扱われていたということに、却って、日本の文化がどんなに創造力を失い、圧しつけられ、文化史としての新しい頁を空白《ブランク》にされていたかという、重大な文化上の問題があらわれて
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