いるのです。
 ところで、近代になってからの婦人作家の立場、婦人の文学はどういうものであったか。樋口一葉をとって見ましょう。一葉は明治の初め、自然主義が起ろうとする頃、それに対抗して活溌な文芸批評などを行っていた森鴎外を先頭とし、若い島崎藤村その他によって紹介されたヨーロッパのロマンティシズムの影響をうけながら、一葉自身がもっていた日本風の昔気質のような気分――美しいけれども狭い、狭いけれどもやはり美しいという風な一つの境地をもった文学に完成しました。まだ深く封建的な眠りがのこっていて、しかし半分目覚めている気持がヨーロッパのロマンティシズムと大変うまく結合して、美しい「たけくらべ」という小説ができました。この作品をたとえば、昨夜の露が葉末についていて、太陽が輝き初めるとそれが非常に美しく光る、しかしそれは消えて行く露である、そういう風な美しさ、美しさとしては「たけくらべ」は完成しています。一葉も大変代表的な立派な作家という風に見られております。けれども、一葉の時代はまだ日本にジャーナリズムが僅かしか発達していませんでした。『新小説』だとか、春陽堂から出ている『文芸倶楽部』とか――後には大変通俗的になったけれども、露伴だとか一流の作家たちも当時は『文芸倶楽部』なんかに書いたわけです。その頃婦人作家が擡頭して大塚楠緒子とかいろいろな人がいて、やはり芸術的な力では一応の作家だったけれども、当時の社会ではまだ文化が低かったから、それでもって食べて行くことはできませんでした。今日古い雑誌を見ますと、当時の婦人作家を集めて『文芸倶楽部』が特輯号を出していますが、そのお礼には何を上げたかというと、簪《かんざし》一本とか、半襟一掛とか帯留一本とかいうお礼の仕方をしています。そんな風に婦人の文学的活動は生活を立てて行く社会的な問題でなく、趣味とか余技のように見られていました。一葉なんかも大変に面白いことは、一方に「たけくらべ」のような作品もありますけれども、日記を読むとなかなか気骨のある婦人でした。御承知の通り大変に困難な日常生活をして、駄菓子屋までやるような生活をしていましたから、歌のお師匠さんの所へ出入りしても半分事務のようなことを手伝って教えて貰っています。そこで貴族的な女の人たちと一緒に歌の会があるときには、一葉は何時も腹の立つような思いをしました。そういう女たちは我儘で得
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