手勝手で、名誉心が強く、一葉の才気を憎らしがってお嬢さんらしい図々しさで押しつける。それに対して一葉は憤慨しています。向島のお茶の席のような所に歌の会があって、きれいな着物を着て行った。――その頃はいまと違ってそういう所へ行くには三枚重ねの縮緬の着物を着て振袖で車を並べて行ったもので、一葉も借着をして行く。やっと体裁を繕って、自分の生活や気持とは大変に離れた環境の中で風流らしい歌も詠《よ》んで、帰って来ると、自分の心を抑えることができないで憤慨する。日記の中で、そういう女の人達に混って食うに食えないような自分、着物さえも借着である、そして、お追従を云いながらあの人たちの中に入っていなければならないのか、馬鹿らしいことだ、口惜しいことだと憤慨しています。自分の働いて生きて行く女としての立場、それから自分のように努力もしないし、熱心に文学の仕事をするのでもないただの平凡な男が男であるばかりで役人になって――あの頃は役人万能の時代だったから、正四位とかけちくさい私どもにわかりもしないような位を貰って、立派な着物を着たり、金時計を持って――漱石の「猫」でも金時計を書いていますね、金時計が一つのシンボルになった時代があります。――けれど私は陋屋の中で小説を書いている。女はつまらない、男は愚か者でも世の中を渡って行くのに、と一葉は或る自己批評をして、こんな苦しい生活を止めてしまおうかと思ったことさえあった。そんなに憤慨して熱血迸るというところがある。それだのに小説をお読みになれば分るように、「たけくらべ」「にごりえ」のようなものに女の憤慨を漏していますけれども、一葉はその時代の婦人の文学というものの考え方、いろいろなものに支配されて自分の憤慨している気持、向島の歌会の風流の中で憤慨して苦しく思った気持、それをその儘あれだけ立派な文章の書ける筆で書かなかった。若し一葉がそういう気持を小説として書いたならば、あの時代としたら全く新しい小説、新しい明治の女の小説であった。しかし、一葉はやはり自分の持っている社会に対する理解から文学というものを一つの風情としています。一つの凜《りん》とした形として自分の文学の中に表現して、人にも訴え、人の心の中にもその欲望がある、人の生活の中にも条件がある、お互いの生活に共通しているもの、それを感じることができなかったわけです。
その後、大正の頃にな
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