の有名な「黒蜥蜴」や泉鏡花の「夜行巡査」「外科室」などが、文学史的な問題をもってあらわれた年であり、一葉も終生の代表作となった「にごりえ」を七月に「たけくらべ」を十二月にかいた年である。硯友社の文飾的要素の多い文学は内面的な発展の要因を欠いていたため紅葉の努力にもかかわらず陳腐に堕して、硯友社門下の中からも、鏡花のように、当時観念小説とよばれた新しい探求を世俗の常識的な概念に向って投げかける試みがあらわれて来た時代である。
一葉は、萩の舎の将来の後継者としての面では、進みゆく時代の文学的空気に極めて微々としかふれ得なかったが、二十八年の二月の日記には、文学についての保守的な考えかたに反対した意見をかきつけている。「ひかる源氏の物語はいみじき物なれど、おなじき女子《をなご》の筆すさびなり。よしや仏の化身といふとも人の身をうくれば何かことならん。それよりのちに又さる物の出でこぬは、かゝんと思ふ人の出でこねばぞかし。かの御ときにはかのひとありてかの書をやかきとゞめし。此世には此世をうつす筆をもちて長きよにも伝へつべきを、更にそのこゝろもちたるも有らず。はかなき花紅葉につけても、今のよのさま
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