手びき「小説神髄」につづいて、書かれた小説であった。この一篇には、逍遙がそれを書いた当時の社会の歴史的な矛盾や、作家として個人的な持ちものの特色などが、複雑に絡みあってあらわれている。先駆的な価値は十分評価されるべきものだが、作品全体から云えば寧ろ、逍遙が理論においてはそこから脱しようとしていた戯作者風の調子のつよくしみ出たものである。その調子は今日の読者に生活感情として馴染《なじ》みにくいものでもある。この「当世書生気質」の出た二年後の明治二十年に、二十四歳であった二葉亭四迷によって「浮雲」が書かれたとき、その頃の習慣で、はじめの部分を発表するときには自分の名をかして、二葉亭四迷と春廼屋朧共著という体裁にした。しかし、二葉亭の作品を見て聰明な逍遙は小説家としての自身の資質に深い反省をもった。イギリス文学から、現実主義の文学を主張した逍遙とは異って、ロシア文学の深い教養と、そういう文学に入ってゆくにふさわしい真摯な性格とをもつ二葉亭は、「浮雲」によって、逍遙にこれまでの自身を深思させる人生と文学への態度を示したのであった。将来の小説と小説家の生きる態度について、遠く見とおすだけの真面目
前へ
次へ
全369ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング