がらも、金持ちの子息であって、同じように小説をかいていたとしても、万端整然たる上流貴公子の生活をしていたのであったら、一葉の感情はどう動いて行っただろう。借金とりをさけて、かくれ家にとりちらしたままの男世帯の有様を見せるような桃水のくらしでなかったら、一葉は、師たり兄たりと思う意識の底に、果してあのようなさざなみ立った情緒を経験しただろうか。
日頃から一葉の生活では、自身の環境として身についている庶民風なものと、萩の舎門下としての貴族的なものとが、とけ合うことなく相剋しつづけて来ている。教養そのものの中にさえ、「士族の娘」という意識に立って、彼女を窮屈にしている幾多の古い力が与えられて来ているけれども、一人になった生活感情をさぐってみれば、なかなか逞しく不屈に生きる力ももっている。「我一生は破れに破れて道端に伏す乞食かたゐのそれこそ終生の願ひなりけり」という表現は文学的に気負った感懐で、現実の一葉は、下駄の緒のきれたときの用心にと、いつも小ぎれをもっているという、まめまめしい甲斐性のある気だてであった。一葉という号をきめたとき、花圃が大変いい名じゃありませんか、それは桐の一葉ですかと
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